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回顧録:ワンボードマイコン:NEC TK-80 www [PCパーツ]

なにげに、PC関連の記事を検索していたら、おもわず懐かしくなってしまったので紹介してしまいますwww

PC Watchさんの記事で、「東京理科大学近代科学資料館が「TK-80」のシンポジウムを開催」という記事がありました。

この記事によりますと、東京理科大学近代科学資料館は、情報処理学会の情報処理技術遺産認定を受けたのを記念して近代科学資料館特別企画展「パソコンの歴史展」を、2010/07/03まで開催しているそうですが、そこでの特別講演として、2010/03/27、「パソコンの元祖TK-80 実演とシンポジウム」を開いたそうです。

「TK-80」は、こんなものです↓www
NEC_TK-80.jpg

今となっては、「TK-80」って何?って思われる人がほとんどかと思いますが、これこそ、私がコンピュータに出会ったきっかけでありました・・・(歳がばれるなwww)

NECの「TK-80」は、1976年8月に発売されたマイコントレーニングキットで、パソコンの元祖といわれる製品です。

今となっては、情けないほどの能力しかのっていない、8bitCPU:NECがIntelのセカンドソースで開発したμPD8080Aを搭載したワンボードマイコンであります。
クロック周波数は2.048MHzで動作。ROMは0.75KB、RAMは0.5KB。8桁の7セグメントLED表示素子でアドレスとデータを16進数で表示。キーは0~9およびA~Fの16個の16進数キーと、プログラミングやデバッグなどに使いやすい9つのファンクションキーで構成された。7セグメントLEDで表示するため、8とB、0とDの区別がつかないことから、BとDだけは小文字のbとdで表示されていましたねwww

決して単位は間違っておりませんwww

私は、中学の時、授業の技術家庭をとっかかりとして、電子工作が趣味で、当時「トランジスタ技術」等を購読し、雑誌の記事を読んでは、大阪の日本橋に出かけ(当時は大阪に住んでおりました)、パーツを集めては電子工作をするのが趣味でした。

そんな私は、雑誌の広告で、「TK-80」を見て、胸をときめかせたものでした♪

記事を見て改めて認識したのですがwww、その価格は88,500円(送料込み89,500円)だったそうですが、当時の私にはそんな大金を出して購入できるわけもなく・・・ひたすら憧れだけの存在だったのですが、しばらくして、コピー品(だと思いますが)、「MK-80」というほとんど見た目同じな製品が安い値段で売り出され、親の援助ももらったかもしれませんが、お小遣いをためて購入・・・これが私のコンピュータとの最初の触れ合いになったわけです。

今から30年以上前の話ですねwww

今となっては、ほんとにたいしたこともできない機能なのですが、当時の私には新鮮な「おもちゃ」であり、雑誌を読(「I/O」・「ASCII]等・・・複数購読していましたwww)し、読み漁っては、いろいろと機能を追加したり、ハンドアセンブルで、マシン語をキー入力していろいろプログラムを作った記憶があります。

そもそも、当時の外部記憶の手段として一般的だったのは、なんといまやその存在すら危うい「カセットテープ」でした。
300bpsという、今となっては気の狂うような遅い転送速度の記憶装置として、カセットテープレコーダが使われていたのでした。
こんな機能でさえ、そのときのワンボードマイコンには搭載されていなかったのですwww

大体、通信手段としては、同程度のスピードの「ボイスカプラー」というユニットに電話の受話器を突っ込んでするような時代でしたからね・・・(笑)

その後、高校に進んだ私は、物理部という名の実態はマイコン同窓会に入部し、そこにいた、同じ志を持つ先輩にならって、コンピュータの世界にのめりこみました^^;

アルバイトをして、小遣いをためては、コンピュータの拡張を地道に繰り返し、高校を卒業するまでには、もとのワンボードマイコンを拡張し、ビデオインターフェースや、フルキーボードをそなえたハードに迄成長させ、雑誌を参考にしながら、独自にBASICインタープリタをハンドアセンブルで作り上げ、学園祭には、ビデオゲームを自作・披露する迄いたったわけです♪

学生の分際で、メーカーに手紙で質問等までしていましたね^^;

そんな私は、理系に進み、大学も当然、理系の情報処理系の学科に進みましたが、その時のコンピュータ環境も、パンチカードで、FORTRANやCOBOLベースのプログラミング等・・・今となっては過去の技術しか習得していなかったかもしれませんねwww 当時の最先端の言語としてはPASCALや、Cが出始めたころだったかと思います。

大学を卒業するまでの間にマイコン→パーコン→パソコンと民生コンピュータの愛称?は微妙に変化し、電機各社から、さまざまなPCが発売されるようになりました。
大学卒業後の私は、関西を離れ、上京し、就職先では、当然その関係の仕事を希望したのですが、配属されたのは、もっと根本的な半導体デバイス関連の職場・・・当時はがっかりしましたが、現在に至るまでの間に、PCの職場での活用はどんどん進み、中学以降のコンピュータとの出会いからのスキルの蓄積は今に至るまで私自身を大いに助けてくれていると思っています。


なんか、懐かしさのあまり、長文となってしまいましたね^^; 
くれぐれも、年齢を逆算して算出しないでくださいなwww



それでは、また。

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コメント 2

かも

うーん懐かしいですね。

私はこのころまだマイコンに手が出せないというより、どちらかというと音キチと呼ばれるオーディオマニアの卵でした。
毎週秋葉のラジオ会館の7階に、「F商会」というカセットテープの安売りの店に買い物に行ってました。そのとなりにあったのが、BIT INN東京というNECのマイコンショップでした。機械いじりが好きな小僧には垂涎のおもちゃがずらっと並んでました。
買い物ついでに毎週いじって、自分のテープに保存までしてたような気がします。
このころNHK第二では夜な夜な「ピーヒョロヒョロ」とデータを発信していましたね。(笑)

マイコン・パソコンはずっと欲しくても買えなくて、結局自分専用を購入できたのはWIN95になってからでしたね。
そしてそれは、NECではなくて富士通でした・・・・
by かも (2010-04-03 07:46) 

KEN

かもさん、おはようございます。
おひさしぶりです♪

私は、自作熱が冷めたあと、MSXという、ASCIIとマイクロソフトが組んで、打倒ファミコンとして?出したパソコンを購入しました。
メーカーはヤマハで、FM音源ユニット・キーボード等のオプションを購入し、音楽データを打ち込んだりして楽しんだものです。
これらは、まだ押入れの奥に眠ってますwww 動くのかな^^;

その後、社会人になった私が次に購入したのが、Windows95搭載の富士通DESK POWERでした。
CPUはIntel486DXだったかな?
HDDの容量が今の時代の1/1000以下だったと思いますwww
いやはや、時代は進んだものですね^^;

このPCもその後、パーツ換装や部品取りなどいじくりまわし、そのうち原型をとどめなくなってしまいました。
ちなみについていたFDDは、今のメイン機にしっかりと乗っていますwww


それでは、また。

by KEN (2010-04-03 10:06) 

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